琥珀の羽音 / KOHAKU NO HAOTO |
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羽音1 ポーランドの冬 昨日の夜―― 鏡で自分の顔を見ていたら。 何故だか急に腹立たしくなって衝動的に切った前髪に朝の冷たい空気がやけにしみる。 ポーランド・クラフク ――1976年 冬の朝は冷たい。 ふと窓の外に目をやるとソコはいつもと何も変わらないグレーがかった景色が見える。 急いでくるみのボタンの厚いコートを羽織り。 切りすぎた前髪をササッと手で整え。 ゴムの緩んだしましまのハイソックスがずり落ちるのをスコシダケ気にしながら。 アパートの階段を駆け下りる。 駆けてゆく息が白い。 木の下で足を肩幅くらいに開いて両手を大きく左右にかざし眼を閉じる。 ソシテ顔を空に向けゆっくりと体をぐるぐる回す。 ソット眼を開けると落葉しかかった木々の間から初冬の太陽の光がもれて眼を細める。 ふとどこからともなく聴こえて来るピアノの音が。 手を広げたまま空から零れ落ちてくるのを静かに感じ・・・。 遠くで車のクラクションがなる音が響き。 アンカはそっと手を下ろした。 * 急に現実に引き戻されたかのような気だるい嫌悪感が背中を走ったけど。 何か楽しいことでも考えようとポケットに手を突っ込み。 今駆けてきた道をアパートに向かってテクテクと歩き出した。 「今日・・・ワタシ何か楽しいことをする日だったっけ?」 アンカはぼそりと自分に話しかけた。 これからする事を頭の中で整理しながら階段を上る。 鍵もかけずに出てきた扉を開け。 くるみのボタンのついたコートを脱ぎ丁寧にブラシをかけた。 足早に台所にゆき 取っ手の壊れたやかんに水を入れ火にかける。 しばらくしてお湯がシューシューと沸く音がし 火を止めようとした時。 ストーブの上にある鍋が並んでいる棚の隅にある小さなovalの小さな鏡に。 湯気で曇りぼけた自分が映っているのを見つけた。 「嗚呼・・・ワタシったら何でコンナに前髪を切ってしまったんだろ。。。」 銅製の小さなコーヒー用の鍋でしばらく煮詰めた苦いコーヒーに。 たっぷりのミルクを注ぎ ゆっくりと飲み ちいさな朝のため息をついた。 * 冷蔵庫の上の時計に目をやるとデジタルの赤い文字がちらちらと8:20を告げている。 残ったコーヒーを一気に飲み干し テーブルに転がっていたりんごを一口ほおばる。 バッグをわしづかみにしてあわただしくベッドルームにおいてある眼鏡を取りに行き。 編み上げのブーツを履いてバス停へと急ぐ。 アンカはこのごつい眼鏡が嫌いだった。 途中 昼休みに読もうと思っていた本を忘れたことに気づき。 1つ今日の楽しみが消えていった気がした。 バス停にはいつもと変わらない面々が無言でうつむき加減にバスを待っている。 やがてバスがやって来ていつもアンカが座る場所に誰も座ってないことを確認した彼女は。 心の中でホッとした。 毎日乗っているバスだというのにいまだ緊張が解けないでいる。 バスの座席のほとんどはふたり掛けなのだが。 右前の3つだけはひとり掛けの椅子がある。 その一番後ろに座るのが毎朝の習慣だった。 窓はくもり外の景色がぼんやりと見えるだけ。 もっともアンカにとっては目新しいものもなく。 しばらくの間目を閉じることにした。 洗面器に入った消毒液を持った看護婦が廊下を通るたびに。 あの無機質で冷たい匂いが鼻を突く。 もう何年この匂いを嗅ぎながらここにこうしているんだろう。 そう考えながら薬の入った引き出しの確認を慣れた手つきでこなす。 「アンカ! ね〜ちょっと聞いて!」 背後でエヴァの声がした。 振り向くと頬が紅潮している。 (嗚呼・・・キットまたアノはなしだゎ。) とアンカは半ば嫌気がさした。 「アンカ! なにその髪の毛! 前髪がたがたじゃないの。」 「ウン・・・ちょっと切りすぎたみたい。」 「切りすぎたんじゃなくて がたがただよ。 自分で切ったでしょ。」 「ウン・・・」 エヴァが腕をつかみ廊下の隅へ行こうとしたときに始業を知らせるオルゴールが鳴った。 「またお昼にね!」 と振り向きざまに口を大きく広げて声に出さない彼女の声を聞き取った。 そして廊下の先の左側の部屋へとエヴァは足早に消えていった。 * 味気ない夕食をそそくさと終わらせアンカは引き出しからクッキーの缶を取り出す。 ソノ中にはこれから彼女の手によって再び命を吹き返す切り取られた紙切れ―: レトロな時計・ナイフ・かえる・ヌードの女・果物・蝋燭・へび・矢印・・・ありとあらゆるものたち。 アンカはコラージュを愛している。 ソレラを大切に机の上に並べて思いをめぐらせているときに電話が鳴った。 「もしもし・・・」 「アンカ? 今週末は必ずいらっしゃいよ。 わかった?」 アンカの祖母ウラからだった。 ウラはアンカに編み物を教えているのだがアンカは半ばうんざりしているのだ。 「うん・・いけるから大丈夫」 話を手短に切り上げ電話を切った。 はぁ・・・と短いため息をつきテーブルに広げられた紙切れに目をやると。 悩ましげにこちらを見ているヌードの女の視線を感じた。 「アナタをココに連れてくるためにワタシはどれだけ苦労してるか・・・・」 と腕組みをした右手の人差し指で左の上腕をトントンと叩いてみた。 そう・・いわゆる"エロ本"を手に入れなければならないということなのだ。 コノ作業にある意味トテモ骨を折るもののソレを欠かすことは決してできないのだった。 キッチンでお湯が沸く音が聞こえてアンカはふと今に戻った。 せっかくお湯を沸かしたのに小さなミルクパンに牛乳を注ぎ暖め始める。 沸騰直前にベルガモットの葉っぱを1枚・・・パンのなかに入れた。 砂糖を加えて台所にある脚の長いスツールに座り両手でカップを持ってふ〜ふ〜と冷ます。 アンカの眼鏡が曇り。 「行ってこなくちゃなぁ〜〜・・・」 アンカは小さくつぶやいた。 * 金曜日の朝。 TVからは反体制活動のデモの様子が映し出され。 煮出したコーヒーを飲みながらアンカはそれをぼんやりと眺めていた。 あの情熱はいったいドコから湧き出てくるんだろう・・・。 厳しい冬の空気の中息は白く頬を高潮させプラカードを掲げて歩いている運動家たち。 そういえばあの日同じように頬を高潮させていたエヴァの話をまだ聞いていなかったことを思い出した。 今夜エヴァの家で夕食を一緒にとる約束をしているので。 エヴァはこちらから何も言わなくとも話し始めるので気を使って聞き返す必要もないのだ。 エヴァには反体制運動に加わっているダレクという恋人がいた。 ダレクは隣町の工場に勤務している。 彼の勤務は交代番の上活動参加に余念がないことからなかなか二人は会えないでいた。 エヴァはそもそも政治とか権力やらにはマッタク興味がないわけで。 ダレクとはすれ違いからよく口げんかになるのだがエヴァは彼が好きだった。 エヴァが自分の身の回りに起ったことを包み隠さず話すのに対して。 アンカはあまりそれを話したがらない。 もっとも今現在頬を高潮させ誰かに話す話題はアンカ自身あるわけがないと思っているからだ。 アンカ自身そういう自分を嫌いながらも心のどこかでそんな自分が好きだった。 そうすることでいらいらしないで済むような気がしたし実際そうだった。 アンカは月に1冊 占星術の本を買うのが習慣だった。 それには毎週星座別にソノ週の言葉が ソシテ10段階で恋愛・仕事・金銭運がそれぞれ書かれていて。 薄っぺらな雑誌で12星座のうち読むのは2星座だけなのだが彼女にとってはお守りのような存在だった。 パラパラと急いで今月の自分のページを開き人差し指で今日の欄を追う。 恋愛運・・・10 アンカはそこで本を机に投げつけた。 ソシテ胸元をキュッとつかんで目を閉じた。 その胸にかすかに痛みが走った。 うつむきかげんに背中を丸めセーターをつかんだ右手に力をこめた。 TVを消し机の上に投げられページが折れ曲がった占星術の本を手で丁寧に撫で伸ばし再び机にそっと置いた。 コートをはおりイツモのようにバス停へと足早にアパートの階段を駆け下り。 見上げると空は灰色で今にも雪が落ちてきそうな低さだった。 * 土曜・日曜と休みになるせいかはよくわからないけど。 今日はとても忙しかった。 「金曜だから・・・金曜だから・・・」 と アンカは自分に言い聞かせながら カプシェルのパッケージをパキパキと折りつづけ長かった勤務を終えた。 帰り道にエヴァと2人でパン屋とグローサリー店に寄り夕食の食材を調達。 じゃがいもにソーセージそして卵。 今夜はジューレックと黒パン。 2人は買い物の麻袋を手に提げてブラブラとエヴァの家へと歩き出した。 心なしかエヴァが静かだ。 アンカは気のせいかもと思い直ししばらくソノママ肩を並べてただ歩いた。 エヴァは黙ったまま。 いつもならアンカが何も話さなくてもエヴァがひとりで楽しそうに話しているのに。 何かあった??? ダレクと喧嘩デモしたのかも・・・。 一言気の利いた言葉をかけようという気持ちとは裏腹にうまくキモチを言い表せそうもなく。 アンカは声をかけそびれていた。 エヴァは外見からはあまり想像がつかないのだが結構神経質な面がある。 そんなエヴァをそばで見ていて言葉を掛けてあげられない自分がアンカは情けなかった。 * 「甘いモノ 何かかっていこっか・・・」 と やっとの思い出一言ポツリ。 「ウン。」 と エヴァ。 街のメイン通りを1本入って暫く行くとちいさなデリがある。 ハムやチーズチョッとした惣菜に数種類の甘いデザート。 ソシテこの店の老婦人が作った雑貨品が古いスツールの上に数点並べられている。 ソレラは店を訪れるたびにアンカのココロをキュンとさせるのだった。 今日は鈴のついたティコゼとフェルトで作った人形が2つ置かれていた。 キットこの老婦人の親または祖父・祖母・・・あるいは祖先がイギリス人だと密かに思っている。 話し方やふとした身のこなしがポーランド人にはない何かしら異国の香りがするのだ。 とはいってもその老婦人は決して上等な服を着ているわけでもなく。 化粧っけのマッタクない横顔には今まで歩いてきただろう時の影が見て取れる。 ただ彼女はどんな時でも透明な石のネックレスを身につけていた。 それはイツモ薄暗い店の中でアンカにとってはひときわ明るくマタ神秘的に見えるのだった。 今日は老婦人が巻いていたクシュクシュのストールで首元が覆われていたのだけど。 よく観るとストールの下でキラリと控えめに光っているネックレスが見えた。 アンカはナゼだかほっとした。 店の中は寒く。ちいさなケラシンストーブの炎がチラチラと小さくゆれている。 アンカは胸元をキュッとつかんだ。 店を出るとき老婦人がふたりの背中にむかって 「またね。」 と。 エヴァは 「ありがとう。」 と笑顔で答え アンカは振り向き老婦人の目を見た。 外はすっかり日が暮れ吐く息の白さが冷たかった。 「あのおばあさんってナンダカ好きよ・・ワタシ。』 とエヴァ。 「あのティコゼ買えばよかったかなぁ・・・ダレク紅茶結構すきなのよね。 「そうだったんだ・・・そうそう 彼は元気? この間TVでデモをチラッと観たけど。」 「ホントはね土曜日アパートに泊まりに来る約束だったんだ。 ケド活動のほうが忙しいってさ・・・いったいどっちが大切なんだって言うの! ワタシと!」 エヴァの悩みはどうやらそのことだったようでアンカは内心ほっとした。 もちろんエヴァにとってはトテモ胸が痛むことだろうケドアンカはもっと悪いことじゃないかとふっと心配していたからだ。 「だんだん露出もしてきていろんなモノを作ったりいろんなコトを決めたりと忙しいんだって。 デモなんだか怪しいんだ。。。」 「怪しい??」 アンカはたずねた。 * 「あ〜あ 目がおちちゃったよ・・・」 ウラが鼻にかけた眼鏡の奥から目を凝らしてアンカの編みかけのマフラーを見てため息をつく。 「だってーもう細かくってめんどくさいんだもん。 編み物ってキットワタシにあってないいだとおもうゎ! あ〜もうやんなっちゃったー!休憩休憩。」 「アンカ マフラーってのはね ただまっすぐ編んでりゃいいのにあんたったらどれだけかかってるんだい?」 アンカは逃げるようにして台所へ入っていった。 アンカに編み物を教えるコトが彼女にとってどれだけ大切かわかっているだけに。 もうやめる!! とも言えないのだ。 ダケドアンカは編み物が嫌いだった。 デモこのマフラーはきちんと仕上げたいとそう思っている。 あるヒトを思いながら編んでいるから。 たとえそのヒトがこのマフラーを首に巻くことがないとしても。 そんなことが起こらないということをアンカ自身が1番よく知っていた。 ソファに腰掛け目の落ちたマフラーを手にして編み始めようとする。 あれ? 落ちたはずの目がきれいに直されていた。 ウラの顔を見るとそ知らぬ顔をして椅子に越しかけレース網をしている。 アンカは黙ってマフラーを編み始めた。 グレー色とくすんだブルーグレーの太いストライプ。 針を動かしながらアンカはズットあるヒトのことを思い出していた。 と突然憎しみに似た感情がふつふつと沸いてきた。 「最低・・・」 アンカがぼそりとつぶやいた。 「え???なんだい?」 ウラがたずねたが アンカはナニモ言わなかった。 めざましがけたたましくなった。 嗚呼日曜だというのにアラームをきっておかなかったことを激しく後悔するが。 マタ眠れそうもないのでゆっくりと起き上がりベッドに腰かけ窓の外を見る。 曇り空・・・。 葉が散ってしまった木の枝が痛い。 ・・・痛いのはワタシのココロなのだとアンカは胸をギュッとつかんだ。 床に脱ぎ捨ててあった靴下を履きキッチンでお湯を沸かす。 昨日ウラの家へ持っていった網掛かけのマフラーが入ったかばんに手を突っ込みゴソゴソめがねを探す。 めがねをかける手が冷たい。 ストーブをつけようとマッチをすったらケラシンが空になっていてマタため息をつく。 「なんて朝だろう・・・」 アンカはぽつりとつぶやいた。 その時。 電話が鳴ってそしてすぐ切れた。 何だか気になったのだが切れてしまったものは仕方がない。 濃い目のコーヒーと薄いパンをトーストしてウラが作ってくれた黒スグリのジャムを塗って食べた。 しばらく窓の外をぼんやり眺め。 おもむろに机から取り出した作りかけのコラージュに目を落とす。 ヘリコプターに手錠をはめられた女性。 ランダムな文字の切り抜きに 6という数字の羅列。 自分で作っておきながらナンテ駄作なんだと思えてきてだんだん腹が立ってきたアンカは。 コートを手にして階段を駆け下りていた。 外は少しばかり日がさしていて日曜の遅い午前の空気だった。 you never know how I upset about............... |
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